「始まりは夢」でなくとも
幼い頃から抱いていた夢を叶える。
それは人の心を真っ直ぐに打つ、潔い生き方かもしれない。
だが同時に、何かを叶えるスタート地点において、必ずしも夢が必要なのかと問われたら、きっとそんなことはないとも思う。
本人の想いが伴う前に、人生が動き出す。
そんなことだってあるだろう。
災害救助犬ハンドラーとしてキャリアをスタートし、現在は浜松譲渡センターのスタッフとして勤務する西香(にし かおり)さんの原点も、「夢」と呼ばれるものとは少し違っていたようだ。
勧められて歩き出した道
「子どもの頃から、ハンドラーや動物に関わる仕事を目指していたわけではなかったんです」
少し照れくさそうに話し始める西さんは、兵庫県の出身。
高校卒業後、埼玉県にある警察犬の訓練学校に進学し、作業犬のトレーニングを専門的に学んだ。
早くから選んだ、犬と関わる仕事への道。
と思いきや、西さんが口にしたのは、先述の意外な言葉だった。
「当時はやりたいことがなくて、進路希望も思い浮かばず、両親から『こんな学校があるよ』と教えてもらい、『じゃあ行ってみようかな』と。実はそんな感じで進路を決めたんですよ。ただ、実家には犬と猫がいて、ずっと動物のいる生活をしてきたので、動物は子どもの頃から好きでした。両親はそれを知っていたから、その進路を提案してくれたのかもしれませんね」
インターンを経て、ピースワンコへ
ピースワンコの存在を知ったのは、就職活動の際。
インターンとしてシェルターでの業務を体験し、初めて保護犬と関わった。
その数日間から、西さんの「やりたいこと」が、芽吹き始める。
「もともと災害救助犬などの作業犬への興味があったことに加えて、実際に関わってみて、保護犬って接するのがすごく難しいなと感じたんです。学校で訓練する犬たちは基本的に人が好きな子たちですが、保護犬はまず人に馴れるところから。スタート地点も目指すところも、全く違います。そこに惹かれて、保護犬に携わる仕事をしてみようかなと思いました」
こうして、ピースワンコの運営団体、ピースウィンズに新卒で就職した西さん。
担当業務は、大きく分けて二つ。
保護犬のお世話や里親さん探しと、救助犬チームとしての活動、つまり生存者発見の訓練と被災地への出動だ。
ハンドラーとして被災地に
入職して約1年半、西さんに大役が巡ってくる。
保護犬から災害救助犬になり、ピースワンコのアイコン的存在ともなっている夢之丞(ゆめのすけ)のハンドラーを務めることになったのだ。
経験豊富な夢之丞とペアを組み、西さんは、初めての被災地派遣を経験する。
「夢之丞のハンドラーが自分に務まるのかなと、不安もありました。初めての出動は、緊張の連続。ヘリコプターでの現地入り、被災まもない現場、救助活動と、先輩である夢之丞にリードしてもらいながら、周りについていくのがやっとでした」
災害救助犬とハンドラーが派遣されるのは、被災直後の3日間。
生存率が著しく下がる前、いわゆる「72時間の壁」までが出動期間とされる。
「被災地では、足場の崩れる危険や余震を常に警戒しながら、慎重に行動する必要があります。難しいのは、犬たちも被災地の雰囲気を敏感に感じ取るので、反応がいつもと違ったり、迷いがみられたりすること。犬の様子を見ての状況判断がしづらくなるんです。練習通りにはいかない、現場ごとの難しさがありました」
夢之丞と共に、北海道や佐賀、福岡の土砂災害、西日本豪雨、地震直後のインドネシアのロンボク島など、国内外の被災地へ出動してきた西さん。
約3年の活動の後、ある決断をする。
退職と復職と
「別の仕事をしてみたい気持ちが生まれたんです。夢之丞も10歳目前になっていましたから、『引き続き現場に出ることが、夢ちゃんの負担にならないかな』という心配もありました」
西さんはピースワンコを退職し、運送関係の仕事に転職。
それから1年半が過ぎた頃、確固とした想いが湧き上がる。
「どうしても犬と触れ合いたくて、たまらなくなりました。私はやっぱり犬と関わる仕事がしたい。そして、犬に携わるなら絶対に保護犬がいいと思ったんです」
ピースワンコで犬たちと向き合った約5年間。
その間に、犬と共に過ごすことは、もはや人生の一部になっていた。
いちばん嬉しい瞬間
「おかえり」と温かい声に迎えられ、ピースワンコに戻った西さん。
復職後は、神石高原町のシェルターでのスタッフ業務に専念し、保護犬のお世話やトレーニング、里親希望者さんへの対応などに取り組んだ。
業務の中でいちばん嬉しい瞬間は、卒業自体よりも、里親さんから家族に迎えたワンコの幸せそうな姿を見せてもらえたときなのだと、西さんは顔をほころばせる。
「『この子ってこんな顔もするんだ!』『人と遊んだりするんだ!』と驚いてしまうような、施設では見られなかった様子の写真や動画を見せてもらえるのが、本当に嬉しいんです。このご家族に迎えてもらえて本当によかった! と感じますね」
浜松譲渡センターへ
2023年11月、西さんは、新たにオープンしたピースワンコ最大規模の譲渡センター「ピースワンコ・ジャパン浜松譲渡センター」の配属となり、勤務をスタートした。
現在は同センターで、犬たちや里親さんと向き合う日々を送っている。
「今後は、里親さん探しの対応や、卒業後のアフターケアの向上はもちろん、ワンコたちのトレーニングも充実させていきたいです。人馴れや、その状態の維持を基本に、さらに上の段階まで目指せるようなトレーニングをしてあげられたらいいですね」
浜松譲渡センターは、今年1月に発生した令和6年能登半島地震に際し、図らずも被災地支援の拠点として、重要な役割を担うこととなった。
西さんも現地支援のため、災害発生後まもない1月初旬から三度、能登半島の珠洲市に派遣されている。
「避難所などを回って被災者の方のお話をうかがい、ニーズ調査やそれに合ったサポートをするのが主な活動でした。現地の方との会話では、心の負担になる話題や言葉づかいになっていないかを、常に考えていましたね。今回の支援では、飼い主さんの状況が落ち着くまでワンコを浜松譲渡センターで預かる『緊急一時預かり支援』も行っています。保護犬でないお家の子を預かる責任には、また特別なものがありますね」
叶えたい夢
さまざまな経験を積み、いつしか現場のオールラウンダーとなっていた西さん。
「心のままにやりたい仕事をさせてもらいながら、ピースワンコに育ててもらいました」
と、明るく答える。
「犬たちは同じように見えても、日々ちょっとずつ違っているんですよ。トレーニングを工夫して、ワンコが達成できたときの喜びは大きいです。そんなところも自分には合っていたんでしょうね。気付いたら『私の仕事はこれだ!』と思っていました。動物なしの生活はもう考えられないです。休日に同僚と遊びに行くときも、つい動物園や水族館に足を運んでしまって…」
笑う西さんにつられて、こちらも笑顔になる。
その柔らかい雰囲気の奥に見えるのは、やり遂げるしなやかさ。
彼女には今、思い描く夢がある。
「いちばんの願いは、ピースワンコにいる保護犬たちが皆、優しい家族にもらわれていくこと。毎日のように、そのことを考えています」
始まりは、動物が好きという、小さな想いの種。
それはすくすくと育ち、多くの犬たちへ、実りをもたらそうとしている。
ライター、編集者、イラストレーター。シニアの愛犬が相棒。
インバウンド向け情報メディアの編集部に勤務後、フリーに。
雑誌やライフスタイル系WEBマガジンでの編集・執筆、企業オウンドメディアのデレクション、コピーライティング等を行う。
近年はイラストレーターとして、出版物の挿絵やノベルティグッズのイラスト等も手がける。