2024年4月4日

手のひらと肉球をつなぐもの

春雷と愛犬

 

春雷、という言葉がある。

春の到来を伝える雷ともいわれ、 雷鳴に驚き、冬眠していた地中の虫たちが目ざめるという理由で「虫出しの雷」という呼び名もあるそうだ。

なにかがはじまるような雰囲気で、嫌いではない。

ここ最近は温暖化の影響もあるのか、激しい雷も多くなったような気がするけれども。

雷で思い出すエピソードがひとつある。
いまはもういない愛犬との思い出話をしようか。

 

音響トレーニング

いちばん最初のドッグトレーニングは生後三ヶ月。まだワクチンも終了していない頃だった。

「社会化期であるこの時期に、さまざまな音に慣らしてください」
ドッグトレーナーはそう言って、ぼくに一枚のCDを手渡した。

そこに録音されていたのは雷、花火、大太鼓、掃除機、赤ちゃんの泣き声と笑い声、パトカー、消防車、トラック、ジェット機、電車、クラクション、小型犬と大型犬の吠え声、猫の鳴き声など。

これを大きな音で何度も愛犬に聞かせる。
興味津々な様子で大型犬の声には吠えたし、サイレンや赤ちゃんの声には首をくるくる回したりして、なかなかの反応の良さだ。

「正常な反応ですね」なんて言われたっけ。

まあ、本物とはやっぱり違うんですけどね、というトレーナーの言葉どおり、確かに実際とは違うので、これは外に散歩に出られるようになる前のトレーニングということだ。

外に出てからは少しずつ周囲の音に慣らしていったので、ある程度の音やものには動じなくなった。

ただ、突如近所に出現した「スケボー青年」にはワンワン吠えまくった。
なるほど、やっぱり経験のないものには強く反応するんだなあ。
その青年がまた、わざとけしかけるように滑ったりするのが憎らしい限りである。
まあいいさ、こっちもかなりの騒音だ。

 

雷の轟音をやり過ごす方法

強気の性格を有していた愛犬は、恐怖心というよりも警戒吠えのほうが多かった。

最初の頃は、雷が鳴ると窓の方に走って行ったり、どこから音が鳴っているのかと聞き耳を立ててウロウロしていた愛犬。

でも、あるとき、ぼくが無反応だと愛犬も反応が薄いことに気がついた。
「無反応」というのは、とにかくただひたすらぼく自身が雷に反応しないだけ。
それまでしていたことを絶対にやめたりせず、それまで通りの行動を続けるのだ。

だけどこれが案外難しい。
たとえば、仰向けに寝転んで愛犬を太ももに乗せているときにいきなり「ドーン!」と雷が来たとする。それでも、ぴくりとも動いてはいけない。

できれば「自分の心すらも動かさない」という気持ちも必要。
こうやってPCに向かってキーボードを叩いていたとしても、一瞬も手の動きを止めないし、今までのリズムを崩さない。音に気をとめる素振りさえせずにずっと叩き続けるのだ。

そうすると「なんだいまの音は?」と、ビクッと顔を上げてこっちを見た愛犬も、また今までどおりウトウトしはじめる。

だが、それは家の中で安全が確保されているから、ということに過ぎない。
平和とテクノロジーはかくもすばらしいものなのだ、うん。
犬ってさ、実はおうち大好きだよね。

 

雨宿りの思い出

花曇りだった春の日。

夕方の散歩で空を見上げると、ぽつぽつと雨が降り出した。
すぐに帰ろうと踵を返したが、突然の豪雨に戸惑う。
屋根のある場所を探し、少しだけ雨宿りすることにした。

聞こえてくるのは降り続く雨の音だけで、愛犬も雨を眺めている。
ぼくもそれにならって、雨の様子をうかがう。
夕立なら、ある程度やり過ごせば止むだろう。
いまはバケツをひっくり返したような勢いだが、そのうちにこの暴力的な世界も、やさしくなるはずなんだ。

やり過ごせば、いいんだよ。

人と犬はこんなふうに昔から、それこそ太古の昔から、雨宿りをしていたのだろう。
ぼくと愛犬は、なにかの回路につながった気がした。
ぼくはやさしい気持ちになり、愛犬もそこに反応している。

だが、雨は激しく、さらに春雷が轟く。
その刹那、あたりが真っ赤な光に包まれる。

落ちたぞ、近い。

へえ、近くに落ちると真っ赤になるんだな…とぼくは呑気に思ったが、ふと愛犬を見ると、ぶるぶると震えている。
ぼくはあわてて彼を抱き上げる。

肉球に触ってみると、ひんやりと冷たい。
さすがに今のは怖かったよね、と声をかけて、肉球をぼくの手のひらで包む。

 

ずぶ濡れでなぜ悪い

ぼくは愛犬を抱えたまま、どしゃ降りの中に飛び出した。
そうそう、濡れて帰ればいいじゃないか。
この子さえ風邪を引かなければ、なんの問題もない。

あらゆるものごとにおいて、ここさえ守れれば、というラインは必ずある。
なにかを差し出し、なにかを得るのだ。
それが自分で納得できれば、後悔もない。

そう思った瞬間、なんだか笑いが込み上げてきて、春雷の中、被っていたフードを外して視界を確保し、泥だらけの公園を進む。

すぐにずぶ濡れになったが、とても気持ちいい。

愛犬はぼくの腕の中で、震えを止めた。
こちらを見上げて、少し得意そうな顔をする。
彼もずぶ濡れだけど、これでいい、と言っている気がする。

手のひらと肉球はつながれたままだ。

 

犬と暮らせば勇気だって湧いてくる

あの日、ぼくらの雨宿りは大失敗だったわけだが、それは雨宿りとしては、というだけだ。

ぼくと愛犬のやりとりは、とてもうまくいった。
こうして特別な思い出になるくらい、良きできごとだったのだ。

犬と暮らせば、勇気だって湧いてくる。
どしゃ降りの人生なのだとしたら、犬を抱き上げて進むべきだ。
そこであらためて、止まない雨はないと呟いてみるのもいいだろう。

まあ、泥だらけで帰って家人にそうとう怒られたのもいい思い出だけどね。

 

文と写真:秋月信彦
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。

 

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