2023年10月6日

震える犬たち

食べられちゃうよ

歩道の真ん中で座り込んで泣きじゃくる3歳くらいの男の子。
かたわらにはお母さんと思わしき若い女性。
ぼくは犬をを連れていたから、泣いているその子の視界にあんまり入らないようにしようと(怖がると悪いもんね)、
リードを短く持ち、できるだけ道の端っこを通ろうとした。

通り過ぎるとき、その若いお母さんが泣きやまないその子に声をかけた。

「ほら、わんわんだよ。食べられちゃうよ!」

ぼくは何も言わずに、彼女らの前を通り過ぎてから、一呼吸おいて、公園のベンチに座った。

確かに、あの若いお母さんは、なにかざらざらとした手触りのものをぼくになすりつけたようだった。
そのときに感じたのは、怒りではなく違和感みたいなもので、これはなんだろう? 
とぼくは思った。

 

存在しない犬

想像してみる
もしもうちの犬をそのままあの子に近づけたらどうなっていただろう。
たぶん、泣いているその子のほっぺをぺろん、と舐めていただろうな。
それがどのような効果をもたらすのかは問題ではなく、
よい悪いも関係なく、犬はそのような行動をとる(ことが多い)。
擬人化しても、絵本のネタとしても、むしろ「ねえねえ、だいじょうぶ?」と言って、
泣いている子を慰めている犬の姿は正しい。

しかし、あの若いお母さんは「食べられちゃうよ!」と言った。
「いつまでも泣いていると、あの犬に食べられちゃうから、
早く泣きやみなさい」ということだ。

きっと、あの若いお母さんにとって、通りすがりの犬など社会構成物のひとつですらないのだろう。
むしろそれは「架空のもの」として扱われ、利用された。
つまりそこに、ぼくの犬は存在していないことになる。
ぼくの違和感はそこだ。
なんだか世界を勝手に書き換えられたような気持ち、
そこにざらざらした嫌な感触を覚えたのだ。

 

犬たちが震えている

犬たちが震えている。
ぶるぶると、身を寄せあって、小刻みに震えている。

犬だろうが人間だろうが、からだをぶるぶる震わせるのは、寒いときと怖いとき、
と相場は決まっている。
いずれにしても身に危険が及ぶサインであり、安心とはほど遠いところにある。
寒いのはまあ、からだを暖めればいいことだから、
それはある程度意識して手に入れることができるはずだ。

だが、恐怖はどうだろう。

からだが震えるような恐怖というのは、漠然とした不安からではなく、
あるとき突然やってくる強烈なものだ。
自分の命が脅かされている状況を想像してみようか。
たとえば戦争。
あなたは戦地にいる。
空襲警報が鳴り響き、防空壕へ急ぐ。
爆弾の落ちる音が聞こえて、あわてて耳を押さえる。
かたわらには小さな子が怯えて泣いている。
誰もがからだを、震わせている。

 

無関心ということ

無関心という言葉がある。

マザー・テレサの有名な言葉で、『愛の反対は憎しみではない、無関心だ』というものがある。
苦しむ者に関わらずに、傍観者であることは愛の対極にあるのだ、と。
考えてみれば、世の中で問題とされてきたことは、いつもすぐに忘れ去られてきた。
こういうのってよくないよね、というコンセンサスが、あっという間に反故にされる。
みんなが覚えていなければ、せっかく問題から導き出したよい考えも、まったく根付くことはないのだ。

それはきっと、無関心のなせる悪技だとぼくは思っている。
犬たちが捨てられ、見知らぬ人間に保護されて、
目を合わせることもできず、震えるばかりの姿。
これからどうなってしまうのだろう、と犬たちは思う。
犬はそんなふうに思っているのではないか、と仮定の話はもうしない。
殺されちゃうのか、と犬たちははっきり思っている。
あきらめた顔をしている子もいるし、悲痛な声を出しながら震えている子もいる。
その恐怖を、少しでも想像することができたのなら、ぼくらは無関心ではいられないはずだ。

 

何を言えばいいのだろう

わかっている。
それでも想像しない人たちがいるということを。
できないのではなく、しない。
心底、まったく興味がないのだ。
自分の利益にならないことには徹底して無関心。
もちろん保護犬がどうなろうが、知ったこっちゃない。

そういう『無関心な人々』に、ぼくらは何を言えばいいのだろう。
冷たい人間、とでも言い放つか。
そのうち罰が当たるぞ、とでも?

お気づきだろうが、そんな罵倒はなんの役にも立たない。
嫌な気分になるだけで、発展性がない。
つまり「食べられちゃうよ!」発言と同じ。
ぼくらは、そんなふうには生きてきていないし、これからもそうだ。

 

無関心は恥ずかしい

ひとつプランがある。
実はほとんどの人たちが、自分は無関心な人間ではない、と思っている。
だから、あんたはなぜそんなに無関心なんだ、と指摘するのは間違い。
人は無関心を、恥ずかしいと感じている部分もある。
いや、無関心と「思われる」ことが恥ずかしいのだ。
人間、恥には弱いものだから、みんなが振り向けば、振り向かざるをえない。
あっち向いてホイ、のイメージで、物語をつくることができないか。
キーワードはやはり、物語だと思う。

もちろんこれはぼくの妄想に近い話だが、こつこつやってもいいじゃないか。
お涙頂戴は飽きたから、別の情緒を揺り起こしたい。
震えて待て、無関心の人よ。

その犬は震えていたが、見知らぬ人が手をのばして、犬の鼻先にその指が触れた。
犬は匂いを嗅いで、それからおもむろに指先を舐めた。
人は犬のあごを撫でて、その犬のことをわかろうとした。
犬にもそれは伝わっていて、ほのかな手の温もりに乗じて、震えはおさまった。
だいじょうぶ、もう怖くない。

文と写真:秋月信彦
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。

 

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