犬が大好きな男の子
犬が大好きな男の子がいた。
愛犬の散歩の途中、その子がそばに寄ってきたのだ。
3、4歳くらいだろうか。
彼は小さな手で愛犬のあごを撫でた。
ふつうは頭のほうに手をのばすものだが、その子はちゃんとわかっていた。
「この子、ほんとうにわんちゃんが好きなんです」
お母さんがそう言った。
「いや、でもすごく慣れてますよね。見ていて安心感がありますよ」
ぼくはそう答えて、その子のほうを見る。
愛犬は心を許したようで、その子の鼻をぺろんと舐めた。
「この公園で、いろんなわんちゃんを触らせてもらっているんです。残念ながらうちのマンションではペット禁止なので」
仲良くなるのには才能がいる
それは残念ですね、とぼくはその子のお母さんに言う。
ぼくはその親子と別れて、公園の奥を目指す。
その子が手を大きく振り、名残惜しそうな表情をする。
すぐにまた会えるだろうけど、つぎは一緒に広場を走ってみようか。
仲良くなるのには、才能がいる。
人間とだって、犬とだって。
うまくできている人は、才能があるのだ。
一人でも、一匹でもいい。
上手につきあえているのなら、ちゃんと才能があるということ。
だからみんな安心して、楽しくやるべきだ。
公園の奥の花畑に着いて、ぼくはぼんやりと考える。
いつかあの男の子のもとに、犬がやってきたらいいな。
犬が幸福な家庭に迎えられて家族になる瞬間を、目の当たりにしたいと思った。
家族になるのは、犬を家族として迎えるのは、長い人生でも数少ないできごとだから。
ぼくは譲渡センターを思い出す。
やさしい人たちがやってきて、保護犬を家族に迎え入れる。
あの出会いの場所のことを。
この子と目が合っちゃって
そもそも「譲渡センター」とは、文字通り保護犬を譲渡する場所だ。
もちろん「シェルター」とも「愛護センター」とも違う。
どの施設もなくてはならないものだが、譲渡センターはより具体的で未来の見える場所。
ドッグトレーナーやトリマーなどが常駐している施設も多く、たくさん相談もできて頼もしい限りだが、ここでの出会いが、保護犬にとっても、そしてぼくら飼い主にとっても人生を変えてしまう。
いままで全体像として存在していた「保護犬」は、個体としての名前をつけられて、あなたの家に住むことになる。
あなたはその子の一生を引き受けなければならない。
自分の生活に折り合いをつけて、その子のためにたくさんのものを支払うのだ。
「この子と目が合っちゃって」
譲渡センターで出会ったその人は、そう言った。
最後の家族
基本的には雑種が多く、中型犬以上の子たちがほとんどのこの譲渡センター。
人気犬種と呼べる子は少ない。
「目が合っちゃったらしかたないですね」
そんなふうにぼくは軽口を叩いた。
その人はやさしそうに笑って、この子が最後の家族になると思います、と告げた。
なるほど、目が合っちゃって、なんていうのは逆に照れ隠し。
初老の彼はずっと「最後の家族」のことを考えていたのだ。
保護犬を迎える、というのは覚悟のいることだし、ペットショップでのそれとは一線を画すのだろう。
譲渡センターとは、保護犬たちとやさしい人たちの思いが交差する、すてきな場所だ。
あらためて思う。
人間の営みが動物たちを不幸にしてきたが、それをやさしく抱きしめることができるのも、人間たちなのだ。
ごめんね、よりも、さあ行こう、が似合うのが譲渡センター。
これから先はいいことばかり。
少なくとも、悪いことよりいいことが増える。
犬を迎えたら、どうしたって、そうなる。
運命の出会いになる
「こんにちは」
その子はお母さんに連れられて、ぼくと愛犬のそばに寄ってきた。
久しぶりだね、とぼくは声をかける。
その子はぼくのほうを向かずに、まっすぐ愛犬へ笑顔を投げかける。
愛犬は尻尾を振り、遊ぼう、とその子に前脚をかけた。
「引っ越すことになりました」
お母さんはそう言って、にっこり笑った。
ぼくはその言葉の意味が一瞬わからなくて、ぽかんとしてしまったが、数秒後にはっきり気づいた。
「え、じゃあつぎのおうちは犬が飼える…?」
「そうです。隣の町ですが、戸建てなのでわんちゃんを迎えたいと思っています」
そっか、それはいいですね!と、ぼくは自分のことのようにうれしくなって、少し興奮気味に話した。
新しい家族を迎える、というのはいい。
それはまさに運命の出会いになること間違いないのだから。
「保護犬も考えています。幸いこの子なら…どんなわんちゃんでもやっていけそうだし」
彼女はそう言って息子の手を握り、笑った。
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。