愛犬とお散歩が最高だ
愛犬とお散歩をするのが最高、という人はどれくらいいるだろう。
たくさん存在するだろうが、その理由はさまざまなはずだ。
とくに、日々いろいろなことを考える癖がある人には、愛犬とのお散歩をおすすめする。
思索などという洒落たものではないが、お散歩は何かしらの気づきを与えてくれる行動なのだ。
まず一歩外に踏み出してみてほしい。
なんとか時間を作れるのなら、愛犬とお散歩が最高だということにあなたは気づいてしまうことだろう。
桜吹雪の中で
桜が舞い落ちる季節の公園。
うちの子がまだ子犬と呼べるような年齢で、落ちてくる花びらに食いつこうと飛んだりはねたり。
リードを少しゆるめて、その思いつくままの行動に合わせてみる。
なかなか美しい。
子犬である愛犬は、毛並みも日差しに触れて黄金色に輝いている。
彼がとても楽しそうなのを見て、ぼくはもちろんうれしくなったが、春は別れの季節でもある。
いっしょに歩いている友だちもあと2週間で東京を離れ、新しい土地で作品づくりをすることになる。
この次はもう、いつ会えるかわからないから、作品とはまったく関係ない犬の話に花を咲かせ、いっしょに写真を撮った。
友だちのひとこと
「犬ってさ、ほんとにうれしそうにするんだね」
その友だちのひとことが、なんだかいまでも忘れられない。
そう、犬ってうれしそうなんだよ。
悲しそうだったり、めげてるときもあるんだけどさ、基本的にはぼくといると、いつもうれしそうにしてくれるんだ。
「人間もそうありたいもんだよね」
まったくさ、もう。
単純に生きたらいい、なんてあっさり言える年齢じゃないけど、うれしい顔を忘れちゃうのはよくないよね。
友だちは真上を向いて、うちの愛犬がやるように桜の花びらを口でキャッチした。
公園の道は、桜の花びらのじゅうたんで、その先を歩いていけば、大きな広場に出る。
そこでしっかり犬を運動させて、きょうもよく寝てもらおう。
きっと発見があって、それが楽しみになる
短いようで長い、長いようで短い、犬との生活の中では、飼い主の体調が思わしくなかったり、生活スタイルの変化に伴い、ときにはお散歩ができない日があったりもする。散歩するのがめんどうに思える日もあるだろう。
そんな中で『犬の散歩に行くか』と思うのと、『犬と散歩に行くか』と思うのでは、気持ちのあり方が違う。
これも、友だちといっしょに愛犬のお散歩に行った、あの桜吹雪の日に思ったことだ。
「犬のお散歩なんかはさ、きっとルーティンじゃ義務っぽくてよくないでしょ」
そうだね、とぼくは答える。
「きっと楽しみがいるんだよね、人も犬も。桜がこうやって舞い落ちるのも最高だけど、そうじゃなくても土のにおいとかさ、遠くを飛び去っていくジェット機とかさ、きっと発見があって、それが楽しみになる」
いい考えだな、それ。
ぼくはそう言って、きみは犬を飼わないの? と友だちに聞いた。
「向こうでの生活が落ち着いたら、いいなって思ってる。日本より保護活動も盛んだし、保護犬を迎えようかと思ってるんだ。保護犬ってさ…」
友だちはまだ出会ってもいない保護犬のことを、なぜかとても愛しそうに話しはじめた。
こんな日は夜のお散歩
その友だちとは、ずいぶん連絡をとっていない。
けれども、あの日はとてもいい日で、友だちもきっと覚えていてくれているだろう。
風の噂では海外で保護犬を迎え、紆余曲折ありながら幸せに暮らしているらしい。
きっと小さな発見を繰り返しているだろうし、桜が舞い落ちるように、そこに幸福を降らすことができる人なのだ。
いまは初夏。
こんな日は夜のお散歩と洒落込む。
雲のフィルターがかかり、うすぼんやりと半月が見える。
半月でも初夏でも朧月夜と呼んでいいのかわからないが、なかなかロマンティック。
街灯に照らされた愛犬の影は、はっきりと生きもののかたちをしている。
まだ息は荒くなっていない。
愛犬が行きたい方向へ、足を向けてみよう。
住宅街の奥のほうへ進むと、あちこちの家から夕げのにおい。
窓には明かりが灯り、家族団らんの声も聞こえてくる。
そうか、人間の土地か。
サン=テクジュペリの。
ぼくはなんだか誇らしい気分になり、愛犬といっしょに小走りになる。
ぼくらの走りは、この住宅街の住人たちは想像もしていないことだろう。
あのあたたかな団らんには到達できないかもしれないが、愛犬がうれしい顔をしてくれるのなら、別にかまわない。
お散歩は、やっぱり楽しいよね。
さ、また出かけよう。
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。