王様は裸だ

日々を眺めていると、事実だけがすべてではないことに気づきます。
起きたことと、起きなかったこと。
そうなりそうだったのに、ならなかったこと。
あるいはその逆。
愛しい犬たちに出会ったわたしたちは、未来を想像しながら進んでいきます。
この先が明るい日差しに溢れているように願いながら綴った、ショートストーリーをご堪能ください。

王様は裸だ
手を握りしめて感じた、
憤りのようなもの。

けれどもそれは、
どこにも向けられない類いの、
ぼう然とした怒りだった。

動物愛護センターのガス室。
そこには誰にもいなかったが、
爪痕が残っている。
それは文字通りの『爪痕』で、
苦しみと悲しみのしるし、だった。

夏子は、この場所に案内されて、
自分の想像力が高まるのを感じたが、
それは圧倒的な現実の力に、
あっという間に
押しつぶされてしまう。
知識として知っているのと、
目のあたりにして感じることは、
まったく違う。

目の前に捨てる人がいるのなら、
怒りの矛先は簡単に決定され、
もしかしたらその愚かな行為を
止めることができるかもしれない、
と彼女は思った。
だが、実際には、
自分が朝食をのんきに食べている
ときにも、犬は捨てられているのだ。
目玉焼きをほおばるその瞬間に、
『犬が捨てられましたよ!』という
お知らせは来ない。
『置いていかないで!』という
声にならない叫びも、
自分には届かない。
「そんなお知らせが来たら、
おかしくなりそうだね」

笑いながらそう言ったのは、
ピースワンコジャパンの
澤山さんだった。
夏子とは旧知の仲で、
彼女を動物愛護センターの見学に
誘ってくれた女性だ。
「ここに、目の前に
犬を捨てるような悪人がいれば、
簡単な話なのに」

夏子がそう言った。

「簡単な話でもないと思うよ。
それに、悪人、と言っちゃったら
何かが変わってしまう気がする」
澤山さんは夏子のほうは向かず、
独り言のようにつぶやいた。

「悪い方向に変わる、ということね。
悪人を悪人と呼ぶことで、
わたしたちも自分では
なくなりそうな気がしない?」

夏子はそれについて考えようとして、
見なくてもいい腕時計の針を眺めた。
「……なんとなくわかる気がします」

「この動物愛護センターに来て、
怒りも悲しみも感じない人だって、
実は普通にいるんだよね。
ひどいでしょ?ひどいよね?
アッタマくるよね。
人の心とかないんか?ってなもんで、
その感情は正しいと思うんだ」
澤山さんは夏子に向き直り、
話を続ける。

「でも、『王様は裸だ!』
と言える力を、
『王様は悪い奴だ!』という
糾弾に使ったら、
主旨が変わっちゃうのよ。
あくまでもわたしは、
王様は裸だ、と言いたいわけ」
「ねえ、夏子。あなたは正しい。
まっすぐな怒りは、もしかしたら
犬たちを救うかもしれない。
矛盾した言いかただけど、
あなたには、
そのままでいてほしいと思うんだ。
純粋さは、
簡単な失われるものだからね。」
動物愛護センターを出て、
高速道路で帰途へ。

薄暗いけれど、
あたたかい雰囲気の車内で
話したのは、
ピースワンコジャパンが
広島県で殺処分の対象となった
すべての犬の引き取りを行っていて、
これまで7千頭以上の命を
救ってきたということ。
殺処分、ゼロ。

このことを達成するのに、
どれほどの努力があったのだろう。
達成だけではすまないのだ。
達成し続けていかなければ
ならないのだから。

夏子は助手席で、
心地よい睡魔に襲われていたが、
頭をぶるぶると振って、言った。
「澤山さん、あたし」

「寝てていいよ、疲れたでしょ」

じゃあ、次のサービスエリアで
運転変わりますね、と夏子は言った。
彼女が言い掛けたことは、
そのことではなかったが、
そのまま目を瞑り、
今はもういない愛犬の顔を思い浮かべた。
あしたにもできることが、あるはず。
そしてやりたいことがある。
サービスエリアで、
澤山さんに相談してみよう。
『王様は裸だ!』と、
ちゃんと声をあげられる
人間になりたいんだ。

そうだ、あたしはそうやって
生きていきたい。
夏子たちが乗った白い軽自動車が、
道路照明で灯るまっすぐな道を
駆け抜けていく。

夏子の今はもういない愛犬も、
彼女の気持ちに同調して、
少し高揚した顔をしてるようだ。
助手席のウィンドウに映った
その姿を、夏子は想像した。

《終》

文と写真:秋月信彦
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。

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