夏は犬と、恋をする。

朝5時、ラッシュアワーがはじまる

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夜明けとともに目を覚さましたのは、うちの犬、マルスだ。

彼女がリビングの床を「カツッ、カツッ」と歩く足音でぼくもようやく目をこすって起きる。時計を見ると、もうすぐ朝5時。

夏の犬飼いには常識だが、「夏の散歩は早朝か夜に限る」という大原則がある。

アスファルトは、容赦なく太陽に炙られ、昼間には犬の肉球を焼く。

だから、今日も朝5時から出発するのだ。

公園に着くと、いるわいるわ、犬・犬・犬。

「おはようございます〜」なんて飼い主同士が言い合いながら、犬たちは全力疾走。

ノーリードというわけにはいかないから、飼い主が元気な犬たちと走り回る光景が拡がる。

疾走しながらのおはようございます…なかなかのカオス。

5分後にはべろ全開でパンティング。

だが激しい呼吸はぼくのほうだ。歳には勝てないんだろうし、勝つつもりもない。 だけどマルスは心底楽しそうで、彼女のからだを冷やし、水を飲ませながら、ぼくも満足する。

肉球よりも、ぼくの手のひらが先に知るべき

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散歩前のちょっとした儀式。

横断歩道の手前で、しゃがみこみ、手のひらでアスファルトをそっと触る。

「熱いかな、大丈夫かな」

それはまるで、幼い子どもの額に手を当てる親のような所作。

マルスが自分で「路面が暑いからお散歩はやめよう」とは言えないから(熱くても行きたい気持ちが勝つような子だし)」、ぼくが察するしかない。

マルスはまだ若く、地面を踏みしめるたびに弾むように歩くけれど、その弾みの下に、もし灼けるような熱があったら…と想像すると、ついつい何度も、確認してしまう。

夏は、飼い主の想像力が試される季節。

言葉が通じないからこそ、目の前の小さな背中を何度も観察するようになる。

観察の先にあるのが想像力で、この子を守るための大事な「超能力」だ。

手足を洗われるのは嫌い、だった

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マルスは基本的に、水が苦手だ。

散歩のあと、手足を洗われるときは、毎回ちょっとしたバトルになる。

片足を洗えば、もう片方の足で抵抗し、前足を洗えば後ろ足がどこかに逃げる。

でも、夏だけは違う。

冷ややかな水で、ざぶざぶと足を洗うと「……あれ?」という顔をする。

そして次の瞬間、ふぅっと鼻から長い息を出して、「気持ちいい」とでも言いたげに目を細める。

その顔を見るたび、ぼくは「キンキンに冷えてやがるっ…!」という名台詞を思い出す。 そうだよな。そりゃ、しあわせだよな。

冷やしタオルもあるでな

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冷蔵庫で冷やしておいたタオルを取り出すと、マルスの目の奥がキラッと光る。

首にくるりと巻いてやると、まるでお風呂上がりのおばさん(失礼)のような顔をする。

「あ…ありがてえっ…!」

台詞にするとそんな感じだろう。

散歩帰りで、すぐ眠くなってしまったマルスだが、10分後には起き出して今度は朝ごはんの催促をすることになる。毎朝、もう決まっているのだ。

そして、夏にそれだけの食欲があれば、なにも問題はなさそうだ。

午後3時の廊下にて

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夏の午後。エアコンの風が届く廊下の一角が、マルスの“定位置”になる。

大きな体を床に貼りつけて、四肢をだらーんと広げ、鼻だけで呼吸している。

ぷすぷすと鼻息が鳴って、おもしろい。

ぼくはその横に、麦茶を持って腰を下ろす。

氷の音だけが、カランと鳴る。

「気持ちいい?そこ、冷たい?」

なんとなく問いかけるが、返事はない。

彼女の上目遣いが、必要に迫られていない質問には答えない、と言っているようで、ぼくは苦笑い。 ときにマルスの目つきは、言葉より雄弁だ。

花火と雷の夜は、仲が深まる

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夕方になると、どこからともなく聞こえてくるドン、という音。

そう、花火だ。そして時には雷も。

マルスはこのふたつが大の苦手。

「ゴロゴロ…」という音がした瞬間、さっきまでリラックスしていたのが嘘のように、ぼくの膝に乗ってくる。

重いし、身動きもとれない。

でも、このときばかりは、怖がりな顔を見せてくれる。

ぼくだけに見せる、弱虫な横顔。

ぼくはマルスを撫でながら、「大丈夫だよ」と小声でささやく。

こんな時間だって、嫌いじゃない。

守っているようで、守られている。

慰めているようで、慰められている。

夏のマルスと、恋をする

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毎朝5時に散歩して、アスファルトを手で触って、冷やしたタオルを当てて、音にびくっとする彼女を抱きしめる。

言葉はないけれど、気持ちは通じる。

むしろ、言葉がないからこそ、よけいに感じ取ろうとするのかもしれない。

マルスと暮らす夏は、小さな恋人と、短いバカンスを過ごしているような日々だ。

気を遣って、笑って、甘やかして、ちょっと困って、でも全部が愛おしい。

夏は犬暮らしにとって、あまりよくない季節になりつつあるけれど、過ごし方によってはぜんぜん捨てたものじゃない。

大事なのは、この子といること。

ぼくの夏ではなく、マルスとともに過ごす夏、なのだ。

気づけば朝の空気は、少しずつ秋の匂いをまといはじめている。

5時の公園に集まっていた顔ぶれも、少しずつ減って、公園も静かになってきた。

セミの声がひとつ、またひとつと減っていく。

それでもきっと、来年もまた、ぼくらは同じように夏の風を分け合いながら、朝5時に「おはよう」を交わすのだと思う。

そんな未来を想像しながら、マルスの背中を撫でた。

まだ少しだけ名残惜しい夏の夕暮れは、びっくりするくらいきれいな夕日に彩られていた。

文と写真:秋月信彦
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。

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