犬は話さない

それを『会話』と呼ぶかはわからない

犬は話さない。
人間じゃないから。

そんなふうに誰かから言われたことがあるのだけど、細かいことは忘れてしまった。
あれは、どんなシチュエーションで、どんな文脈で話したことだっただろう。

ぼくはそのとき、それはそうだよね、という言葉だけを吐き出したと思う。
犬は人間じゃないから、という意見には賛成で、でもその人とはあんまり会話が盛り上がらなかったのだろうね。
ぜんぜん覚えていないのだ。

そして確かに、犬は「おやつが食べたい」と口に出して言うわけでも、「今日の散歩コースは西の公園がいい」と提案してくるわけでもない。

でも、それでもぼくは知っている。
犬は確かに『話して』いる。
言葉の代わりに、目で、しっぽで、耳の角度で、そして、ちょっとしたため息や鼻鳴きで。

それを『会話』と呼ぶかどうかはわからない。
けれども、その瞬間、確かにぼくは、彼と通じ合っているのだ。

「もう寝ようよ」と言われた夜

ある夜のことだ。
ぼくがリビングでゴロゴロとスマホをいじっていると、愛犬が、寝室のドアの前に立ちはだかっていた。

「もう寝ようよ」と言いたげに、じーっとこちらを見ている。
ためしに寝室に向かって立ち上がってみると、彼はくるりと身体を反転し、ぼくのベッドに潜り込んだ。

「やっとその気になったか」とでも言いたげな態度。
そうやってはじめてこの子は安心して眠ることができるのかもしれない、と思うと、この自堕落で不安定な暮らしをどうにかしなきゃ、とも感じた。

たぶん、彼の中では、もう寝る時間というルールがあるのだ。
「ルールは守らねばならぬ」という犬なりの正義感。
けれども、もう少し一緒にうだうだしていたい、という感情も読み取れる。
寝る前にはうんと甘えて、くっついて、明日のことを考えず、幸せな眠りに入っていく。

犬の感情はシンプルだ。でも、決して単純ではない。

おやつを前にした交渉人

うちの子が見せる最も雄弁な瞬間は、おやつの時間かもしれない。

ある日、ぼくは新しいヘルシー系のビスケットを与えてみた。
すると、彼は一度口に入れた後、「ぺっ」と落とし、ぼくのことをまっすぐ見つめた。

「違う違う、これじゃない。昨日の、あのジャーキーはないの?」

そんな空気をビシビシ放ちながら、戸棚の前に移動し、ちらちらとぼくを伺う。

これは人間と犬、個体間のコミュニケーションである。

交渉人である犬は「提案に納得できない」とサインを送り、ぼくはそれを“読む”のだ。

そう、ぼくらは言葉のない交渉を、日常的にやっている。
お互いの欲と好みとタイミングを測りながら。

ボケとツッコミも存在するし、ちょっとした夫婦漫才のようでもある。

ピースワンコのトレーナーが言っていたこと

以前、保護犬活動をしているピースワンコで活躍するトレーナーさんと話したときのこと。
その人はふとした拍子に、こんなことを言った。

「犬って、本当は喋ってますよ。人間が気づいてないだけで」

それは、目に出る。耳に出る。
ときには足の置き方ひとつ、しっぽの動きひと振りが言葉になる。
そしてその言葉は、読み取るこちら側が掴むものだ、と。

トレーナーさんの言葉を聞きながら、ぼくは深く頷いていた。

喜び、怒り、不安、甘え、ちょっとしたイタズラ心。
それらをまるごと、犬たちは一瞬一瞬に込めて、伝えようとしている。

ぼくたちがそのアンテナを伸ばせば、ちゃんと受信できるのだ。

ツッコミが、完全に聞こえてきた

ドッグランで出会った、とある柴犬と飼い主さんのエピソード。

おやつタイムが始まったとき、ある犬が落ち着きなく、うろうろし始めた。
すると、その隣にいたもう一頭の犬が、ギロッと睨むようにその犬を見たのだ。

「おい、お前がちゃんと座らないと、みんながもらえないだろ」
「空気読めよ、おれのぶんまでパーになるだろが!」

そんなツッコミが、完全に聞こえてきた(気がした)。

周囲の飼い主さんたちも、つい笑ってしまっていた。
犬たちは、犬同士で空気を読み合い、人間のルールにまでちゃんと『巻き込まれて』いる。

思いやりとも、損得勘定とも、ルール遵守ともいえるこの感情。
犬たちの社会性は、思っているよりずっと、豊かで複雑なのだ。

犬との感情のやり取りは『呼吸』

犬との感情のやり取りは『呼吸』がすべて。

あえて言葉にするなら「なんとなく、そう感じた」「そう言ってる気がした」
とても曖昧で、論理的には説明できないようなことばかり。

でも、それが日々の中で積み重なり、やがて信頼という絆になっていく。
こちらが何かを察すれば、犬もこちらを察してくれるようになる。

以心伝心、昔の人はいいことを言う。

それで、じゅうぶん

犬と暮らしていると、人間社会の言語が介在するその明確さが、ちょっとだけ窮屈に思えてくることがある。

伝えたい気持ちがあるなら、言葉なんてなくてもいいのだ、ともいえる。

ただ目を見つめ、そっと近くに寄るだけで、想いは通じる。

それって、とても豊かで、自由なことじゃないかと思う。

言わなきゃわかんないよ、なんていうのは、人間がいろいろ失っていると告白しているようなもの。

『犬は話さない』というのは、正しい。

でも『犬と話せない』というのは、間違いだ。

犬との会話(深いコミュニケーション)は、 確かにある。

それは言葉を超えて、もっと本能的な、感覚的な場所で交わされるものだ。

たとえば、何か落ち込んでいるときに、そっと寄り添ってくれる瞬間。

何も言わずに、でも、すべてを知っているような目で見つめてくる刹那。

その目が語るものを、ぼくはちゃんと『聞いて』いる。

そして思うのだ――それで、じゅうぶんだ、と。

文と写真:秋月信彦
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。

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