不意に現れる影

ある日の午後のことだった。
いつものように、SNSには犬たちが楽しそうに遊ぶ動画や、眠る子たちの平和な寝顔に溢れていた。
そもそもそんなものばかり見ているから、ぼくのスマホ画面は平和そのものだ。
そのとき、まるで影を落とすように画面に不意に現れた、一枚の写真。
そこに写っていたのは、見るも無残な姿の犬。
痩せ細り、毛は抜け落ち、傷だらけ。劣悪な環境で、苦しんでいる様子が伝わってくる。
この世には、目を背けたくなるような現実がある。
動物たちの、かわいそうな姿があることも、ぼくは知っている。
しかし、今のぼくは、そんな残酷な現実を直視したくなかった。
可愛いものを見て、穏やかな気持ちで過ごしたいだけだ。
言いようのない不安が胸に広がる。
ぐるぐると、思考が巡り始めた。
「かわいそう」が持つ両義性

動物たちの命を大切にしよう、虐待は許されない。
それは、誰もが抱く共通の認識だと、ぼくは思う。
だからこそ、動物たちの悲しい現状を伝えるために、あえて衝撃的な写真や映像を見せる、というアプローチがあるのも理解できる。
けれども、その表現方法が持つ両義性についてはどうか。
たとえば、子どもたちへの「いのちの授業」と称して、動物を育て、最後にはその命をいただく、という実践があった。
ぼくは、あれもまた、命の尊厳と現実の狭間で、常に問い直されるべきものだと考えている。
命の尊さを教えるためとはいえ、あまりに生々しい現実を突きつけることが、幼い心にどう作用するのか。
その子の成長にとって、ほんとうに倫理的な意味を持つのだろうか?
(余談だが「銀の匙」【荒川 弘・著/小学館】という漫画には、年齢や立場が違うものの、その理想的な答えが掲載されている。だが、あれは理想そのものを描いているのであって、そのまま現実に当て込むことはできない)
では、翻って愛護団体であるピースワンコジャパンはどうだろう。
情緒を揺さぶる写真の使いかた、そこにまつわる寄付のお願い、その想いと立場はどこへ向かっているのか。
率直に話を聞いてみることにしようか。
「いわゆる『かわいそうな写真』について、受け止めかたは人それぞれだと思うんです。受け止めることが難しい方は見ないほうがいい、という前提はあるものの…いま、この瞬間にも命が奪われていて、現場のスタッフはとんでもなく心の負担を感じながら逃げずに一つ一つの命と向き合っています。そんな現状をきちんと知ってほしい、そのことを社会問題だと感じて、一緒に立ち向かってくれる人が集まってほしい、というのが私たちの伝えたい想いでもあります」
美しきものへ

原則としてぼくら大人は、自分の心は自分で守るべきだろう。
けれども、日々の生活の中で、予期せぬ情報や、心を深く揺さぶる出来事に遭遇することは避けられない。
では、どうやって自らの心の平静を保ち、守るのか。
あの写真を見て、胸が締めつけられ、寝つけない夜を過ごしたぼくが辿り着いたひとつの示唆は、「美しいもの」「愛すべきもの」に、意識的に触れることだった。
人間は、何かと何かを比較することで認識を深める生きものだ。良いものと悪いもの、喜びと悲しみ、光と影。
この世界は、あらゆる対比によって構成されている。
だから、良いものだけに囲まれて生きることは不可能だ。残念ながら、この世には、不条理なことや、目を覆いたくなるような現実が存在する。
だからこそ、その「負の側面」を相殺する力が、ぼくたちには必要なのだ。
「美しいもの」や「愛すべきもの」から得られる、静かな癒やし、深い感動、そして未来への希望を、自分の手のひらにのせること。
あの夜、ぼくは、自分の愛犬がすやすやと眠る姿を、ただひたすら眺めていた。
穏やかな寝息、時折ピクッと動く耳、柔らかな毛並み。
そのすべてが、ぼくの心をやさしく包み込み、少しずつ、あの写真の影を薄れさせていった。
悲しい現実から目を背けるのではない。ぼくらはもう、それを知っている。
現実を認識する力は、現実を生きていれば備わるものだ。
あまりにも過剰に、大声をあげるような存在には気をつけたほうがいい。
正しいことは、たいてい静かに語られるものだから。
止まない雨はないと、静かに呟く

不意に現れる影に、心が揺れる。
それは、ぼくらの心に、動物たちへの深い愛情があるからこそ起こる、避けがたい反応だ。
だから、その感情を否定する必要はない。ただ、その影に飲み込まれてしまわないように、心の羅針盤を正しく操る術を身につけておけばいい。
泥だらけの人生なのだとしたら、犬を抱き上げて進むべきだと、ぼくは以前のコラムで書いた。
それは、なにも物理的なことだけを指しているのではない。心の状態だって同じだ。
心がずぶ濡れになりそうなとき、ぼくらは、自分の愛すべき存在に、そして、誰かが懸命に守り抜いている「希望」に、意識的に手を伸ばせばいい。
そうすれば、きっと、止まない雨はないと、静かに呟けるだろう。
そして、ぼくらの手のひらは、再びあたたかい肉球と、強く、確かにつながるはずだ。
文と写真:秋月信彦
某ペット雑誌の編集長。犬たちのことを考えれば考えるほど、わりと正しく生きられそう…なんて思う、
ペットメディアにかかわってだいぶ経つ犬メロおじさんです。 ようするに犬にメロメロで、
どんな子もかわいいよねーという話をたくさんしたいだけなのかもしれない。
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