長いトンネルの先に差し込む小さな光

山から下りてくる冷たい空気が、施設の屋根をかすめていく。
ケージの前に立つと、犬たちは一斉に吠えるわけでもなく、ただこちらをちらりと見る。半分眠っているようで、それでも確かに、生きているという目で。
その朝、ぼくはポケットの中のスマートフォンに表示された数字を思い出していた。
環境省から発表された2024年度の全国の犬の殺処分数は1,964頭。前年は2,118頭だったから、154頭の減少。
ついに2,000頭を切ったという事実は、長いトンネルの先に差し込む小さな光のようにも見える。実際そうだと思う。
だが同時に、それは1日あたり約5頭という現実を見つめることにもなる。統計的に考えれば、今日もどこかで、5つの命が終わる計算だ。
数字は進歩を示している。けれども、ケージ越しに触れる体温は、決して抽象ではない。
膨大な数の犬の命はいまだ、失われている

ピースワンコジャパンのプロジェクトリーダー、安倍さんが口を開く。
「前年が2,118頭でしたので、154頭減りました。でも、まだ膨大な数の犬の命が、人間の都合による“殺処分”というかたちで失われているんです」
言葉は淡々としていたが、その奥にある悔しさは隠しきれていない。
現場にいる人間にとって、『減少』は成果であると同時に、『残っている命』の数でもある。
都道府県別のデータを見れば、現実はさらに具体的になる。
徳島県の殺処分数は277頭。2023年の256頭に続き、2年連続ワースト1位だ。全国が減少傾向にある中で、徳島だけは前年より増えていた。
ワースト2位は長崎県197頭、3位は香川県186頭。
4位は愛知県160頭、5位は愛媛県135頭。
四国全体で見ると、全国の約30%を占めている。
地図の上では小さなエリアだが、その数字の密度は決して小さくない。
殺処分機が止まった日

徳島県にはトピックがある。
2025年、殺処分機の稼働が完全に止まった。実質的な殺処分ゼロ(※)という状況だ。
「これは偉業と言っていいと思います」
安倍さんは、はっきりとそう言った。
2025年3月24日。ピースワンコは徳島県と協定を結び、全頭保護へと踏み出した。
2026年3月までの1年間、殺処分ゼロ(※)を達成する。
かつてワーストを背負い続けた県が、自らゼロを目指す。その決断は、行政職員の葛藤も、現場スタッフの覚悟も、地域住民の理解も不可欠だ。
※ピースワンコ・ジャパンは、命が助かる見込みがない等として愛護センターの判断で安楽死対象となった犬以外の殺処分をなくすことを指しています
殺処分ゼロを目指すだけでは足りない

だが、この統計には別の側面もある。
飼い主からの引き取りは、昨年より205頭増えている。
高齢化、経済的困窮、ペットブーム後の放棄。
社会のひずみは、まず弱い存在に現れる。
施設の奥で、年老いた犬がゆっくりとこちらを見る。詳細は不明だが、普通に家庭で飼われていたのだろう。ある日センターのそばで見つかり、迷い犬かと飼い主を探してみたものの、まったく情報は出てこない。飼い主が探しているのであれば、どこかで接点があるはずだったが、その痕跡もない。どうしようもなく、そのまま引き取られたという。
「殺処分ゼロを目指すだけでは足りません。予防や啓発も同時にやらないといけない。これは、今後の課題です」
やむを得ない、という言葉に住み着くあきらめと弱さについて、もういちど考える。
言葉どおり、やむを得ないことが存在するのは知っている。いや、むしろこの世界はやむを得ないことばかりだ。
でも、あっさりと、ほんとうに簡単に、なにも考えずあきらめてはいないか。
ごみ箱が見当たらないからといって、やむを得ないとポイ捨てをするのなら、街はごみだらけだ。
ぼくはどうにも解せない。そのレベルで飼育放棄をする人がいると仮定して、たとえば巷にあふれる「泣ける映画」なんかを観て泣いているのか? そんな人でも?
誰も望んでいないことをしてしまう弱さ。
ほんとうは自分だって求めてもいないのに、自分さえよければかまわない気持ちで、麻痺していく感情。
それこそぼくらはそんな人たちをあきらめたいが、そうもいかない。
過去形の“殺処分”を語れる社会

統計は、単なる数字ではない。それぞれがストーリーを持つ。
ピースワンコが活動を始めたのが2012年。
そこから比べてどれくらい殺処分が減っているかといえば、全国で43,606頭(2011年)だったのが、2,434頭(2024年)まで減少している。
なんと約18分の1だ。
それはもちろん、1年ごとに、1ヶ月ごとに、1日ごとに物語性をはらんでいる。
「昔は犬たちが殺されていたなんて……」と無邪気にいえる時代をつくりたい。過去形の“殺処分”を語れる社会を、ぼくは夢見ている。
子どもたちが信じられない顔で残酷な数字を読み、過去の愚かさを認識したとき、すべては報われるだろう。そうだな、そうなったら、あらためて「泣ける映画」を観にいこうか。
ぼくがまだ小学生だったころ、近所のおばちゃんが、何気なくぽつりと言った言葉が忘れられない。
「うちのシロ、もう処分しちゃおうかと思ってさ」
もちろん、しばらく声が出なかった。
シロはその後もちゃんと飼われていたようだが、飼育環境がよかったとはお世辞にもいえない。
でも、いまは。
「こんなのは間違っている」という人が増えた。
多くの愛護団体が協力して動き出しはじめた。
SNSが、現場の声を可視化した。
テレビなどのメジャーなメディアも、保護犬問題を取り上げるようになった。
殺処分という言葉を、知らない人のほうが少なくなった。
そう、間違いなく社会は変化してきている。
1,964頭の体温

散歩の時間だ。犬たちは外へ向かって歩き出す。
リードを握る手に、微かな力が伝わる。
この一歩一歩が、隠喩的にもこの先の統計を変えるかもしれない。
派手ではない。ニュースにもならない。だが確実な一歩だ。
1,964という数字の向こうに、1,964頭の体温がある。
彼らは息をしている。
その体温と息づかいはとてもリアルだし、想像力を駆使してその子たちの顔を思い浮かべることだってできるはずだ。
がむしゃらに走る強さ。
立ち止まって考える賢さ。
愚直であることと、戦略的であること。
その両方を抱えながら、ぼくらは一歩ずつ前へ進むしかないのだ。
来年の統計が、さらに小さな数字になり、そしていつか、殺処分ゼロが当たり前になるその日を信じて、またケージの扉を開ける。
犬は外の空気を吸い込み、ゆっくりと尻尾を振る。
命ははっきりと、ここにある。
文と写真:白瀬 悠
ライター。動物と人がともに生きる社会について、雑誌やWEBなど多様な媒体で執筆。 かわいさの奥にある現実も、まなざしの先にある課題も、ちゃんと見つめたいと思っている。 それでも最後は「この子が今日もしあわせなら、それでいい」と願ってしまう、犬に弱い人。














